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グアダルーペの聖母あるいは子供運の有る無し

Virgin of Guadalupe
Virgin of Guadalupe

 

皆さんは、この絵を電車の中の若い子たち(少しYankee文化の影響を受けた)のスマートフォンのハードケースで・・

 

見たことがある人もいると思います。

 

なんで?彼らは「グアダルーペの聖母」が好きのだろう?と考えたことはないですか?

独特なマリア像のステッカーやワッペン、Tシャツにトレーナー・・ネットの通販でもこのグアダルーペの聖母のGOODSは凄く

人気があります。またタトゥーシールも。

 

たぶん、直感でこの絵に惹かれるんだと思います。切り口はCOOLさを求めているからも知れませんが・・

人が何かに揺り動かされる時というのは、思考とは別の「直感」のアンテナがビビッと立つのだと思います。

 

 

    key word:  グアダルーペの聖母、Virgin of Guadalupe

 

美術館でみる白人の聖母子像が、日本人のイメージでは強いので、カラードのマリア像は違和感を覚えるかも知れません。

聖母の出現は、世界中にあります。 フランスのルルド、ポルトガルのファティマ、日本のAKITA(秋田) そして

 

このメキシコ・シティーのグアダルーペの聖母。

 

 

今日は、12月12日・・私もカトリック信者の私で教会で「グアダルーペの聖母の祝日」の朝ミサに行ってきました。

 

この体外受精の治療をやっていると、「なんであの人が妊娠して私がしないのだろう?」

 

                 「あの人は、あんなに下品で意地悪だのに・・なぜ運がいいのだろう?」

 

                 「運がいい人は、神様に愛さえれていて、運が悪い人はそうじゃないのだろうか?」

 

                 「色々な意味で強い人でないと・・妊娠しないのだろうか?」

 

   そんな思いもつい出てきてしまう知れません。人間だから当たり前です。

 

 

さっき、 ヤンキーの子供たちの話をしました。 彼らは若いです。

若く結婚して家庭の基盤こそはとても貧弱だけど・・なんとか子供もいる。

 

皆さんのように、他の人たちに何か誇れるものを持っている訳ではない子たちが多いと思います。

何かを手放しているから、何かとても大切なモノを手にしているのかも知れません。 

全部において欲張りではないことかも知れません。

 

 

そして、子供の立場からみれば・・生活の基盤がしっかりと出来た40歳代のお母さんとお父さんの方がいいのかも知れません。

これは、その子供たちに聞いてみないとわからないです。神様が割り振りをしているから。人間の叡智をはるかに越えた思考です。

 

もし体外受精の結果が、「運」みたいなものだと仮定するならば

その運をくれる神様(日本の八百万の神さまや、ご先祖さまも含めて・・)の思考は、私達人間とはまるで違うものだと考えてみるのは

どうでしょうか?! 

 

極端な話に、人間で考える善悪と神様の善悪は違うものだと思えば、

今回、お話をする「グアダルーペの聖母」がマイノリティーの社会的に弱い人達の前に現れた意味がわかるかもしれません。

 

偉そうに言っているこの私も、大切な家庭というものを全て失った中年マイノリティーです。

 

今日の朝のミサに出てお祈りをしてきたことは、

弱い立場や環境にある人達(頑張っても妊娠できない人たちや仕事のない人に運が与えらますようにと。

 

            

 

 


グァダルーペの聖母

 

1531年、 現在のメキシコの首都メキシコ・シティーの近郊のテペヤックの丘で、褐色の皮膚をした聖マリアが

先住民インディオの農夫ホァン・ディエゴの現れた。そしてその場に寺院を作るように聖母は伝えるが

貧乏なディエゴのいうことなどカトリック神父でも信じなかったので、聖母はその神父でないと分からない証明をもたせて帰らせた。

聖母の形容詞には、様々なものが存在するが、「薔薇の女王」と呼ばれる一つの伝説の一つとなった。

 

疑っていた神父たちに前に広げた彼の外套には、マリアの姿が現れ、500年たっても今も残っています。

聖母の出現の世界的な聖地の一つが「Virgin of Guadalupe」

 

後述しますが、この外套の中のマリアの瞳に写っているものが、現代科学をもってしても未だに解明できない。

500年弱の歴史が流れても、未だにメキシコのインディオなどの弱い立場の人たちを守りつづけています。

 

グアダルーペとは、メキシコ・シテにある丘。

 

1531年12月9日のことでした。改宗したインディオ(先住民)でアステカ族の農夫であったファン・ディエゴが、

 

メキシコ・シティ郊外のテペヤクの丘を通りかかったとき、美しい烏の声か音楽のような音を聞きました。

 

それから彼の母語のアステカ語(ナフアートル語)で「私の小さな子」と呼ぶ声を聞いた。

 

ファン・ディエゴはその声にひかれて丘に登り、彼の目の前に現れたのは、褐色の肌に黒い髪の少女でした。

 

その貴婦人のような少女はディエゴにこう言いました。

 

「ファニート、最も謙遜な息子よ。私は永遠の乙女にして聖なるマリア、生きる糧

 

である真の神の母です。私はこの地に聖堂が建てられることを望みます。そうすればそこに顕現できるでしょう。」

 

 

 

 

ディエゴは言われた通り、メキシコ・シティでデ・ズマラガ司教に会い、自分が見聞きしたことを伝えました。

 

もちろん司教は、一介のインディオの話など信じません。

 

 

 

 

 

ディエゴはしかたなく、またテペヤックの丘に戻ると、聖母が待っておられた。

 

ディエゴは自分はこの役に相応しくないので、もっと身分の高い人を代わりに任命してくださいと聖母に頼んだが、

 

聖母はこの使命を引き受けることになっているのは他の誰でもなくフアン・ディエゴですと言われたので、

 

彼は翌日もう一度やってみることを聖母に約束した。

 

 

 

 

翌日ディエゴはもう一度会いに行ったが、司教スマッラガにすげなく断られた

 

しかし、このとき、司教はディエゴに話が本当なら聖母から天のしるしを貰うようにと要求した。

 

それで、ディエゴはもう一度テペヤックに行き、聖母に司教の要求を告げた。聖母は「そのしるしを明日用意しましょう」と言われた。

 

 

 

 

ディエゴは聖母との約束が気になっていたが、急いで司祭のところに行かなければならないので、

 

テペヤックの丘で聖母に会うのを避けようとして、丘の反対側の道を取った。しかし、聖母は道を遮るために丘から降りて来られた。

 

聖母は微笑みながら、ディエゴに「何か問題がありますか?」と尋ねられた

 

それから、ディエゴの叔父がこの瞬間に癒されたと言われた。

 

 

 

そしてこれから丘へ登って前に聖母に出会った場所で花を摘んで降りて来るように言われた。

 

ディエゴは言われた通りに丘の頂上に登って驚いた。

 

この冬の寒空にさまざまの種類の美しい花が岩、アザミ、乾燥地の藪の間に満開になっていた

 

露に濡れてよい香りを放っていた。彼はすべての花を摘もうとしたが、多すぎて全部摘むことはできなかった。

 

摘んだ花を運ぶために彼は自分の羽織っていたティルマにくるんだ。

 

ティルマはアステカの伝統的なマントで首のところで結ぶようになっている。

 

ディエゴが着ていたティルマはサボテンの茎の繊維で作られたもので、20年もすればすり切れてしまうものだった。

 

 

 

 

彼は急いで丘を降りて聖母のところへ戻った。聖母はディエゴがティルマに包んで持って帰った花を特別な仕方で整えられ、

 

ティルマの中にもう一度しっかり包まれた。そして、誰にも見せずに、司教自身にそれを開けて見せなさいと言われた。

 

 

 

 

 ディエゴは三度目に司教館に行き、司教に面会を申し入れた。司教館で待っている間に、召使いたちが花を持ち去ろうとすると、

 

花はあたかもティルマを縁取りする絵となってティルマの中に溶けてしまうかのように見えた。

 

彼らは驚いて司教に直ぐ来るように呼びに走った。

 

スマッラガ司教はメキシコ新総督のドン・セバスチアン・イ・フエンレアルなど重要人物たちと話し合いをしていたが、

 

直ぐにディエゴに会いに出て来た。ディエゴは約束通りの貴婦人の天からのしるしと言って、ティルマを開いた。

 

すばらしい色と香りを持つ薔薇が床を埋めた。

 

スペインにしかなく、メキシコにはまだ輸入されたことがなかったカスティージャの薔薇は居合わせた高官たちと司教を驚かせた。

 

 

 

 さらに人々を驚かせることが起こった。

 

 

人々が見ている前でティルマの内部に一つの像が現れた。

 

最初、フアン・ディエゴはこの像を見ていなかったが、見たとき、

 

その像がテペヤックの丘で見た聖母に生き写しだったので叫び声をあげた。

 

そしてそのことを人々に告げた。この時以来、聖母像は今日まで468年近くもティルマの中に消えずに残っている。

 

スマッラガ司教は自分の不信をディエゴに泣いて詫び、彼を抱擁した。

 

テペヤックの丘に小さな聖堂を建ててそこに奉納するまでの間司教はそのティルマの聖母像を自分の小礼拝堂に飾って崇敬した。

 

 

 

Virgin of Guadalupe


現在このテペヤックの丘には聖母が望まれた大聖堂が建っていて、ティルマの聖母が崇敬の対象になっている。

 

 

その後まもなく多数のアステカの人々がこの聖母像を崇敬するためにやって来て、次々に改宗が始まった。

 

一説では十六世紀初めルターの宗教改革でヨーロッパで失われたカトリックの数だけこのメキシコでアステカ人のカトリックへの改宗が

 

あったと言う。聖母はヨーロッパ大陸で失われた人数をアメリカ大陸で取り戻されたのだ。

 

 

 

 

 

1539年までに、すなわち1531年の御出現後わずか8年ほどの間に800万人のアステカの人々がカトリックに帰依した。

 

これはティルマの内側に姿を残された聖母の力である。

 

 

 

その後、聖母の希望通り、テペヤックの丘には教会が建てられました。

 

 


奇跡の解明に対する科学のアプローチ

 

聖母像が刻み込まれたこのサボテンの繊維でできたティルマはさまざまの科学的な鑑定を経ても、

 

未だにその謎が完全には解けないと言われています。

 

 

 

1531年以来468年も崇敬されて人目にさらされ、聖堂の中で祭壇の上方に掲げられていたため、

 

ろうそくですすけ、悪化するはずなのに、不思議なことに全然古びていず、今もみずみずしく、生き生きとしており、

 

繊維質の悪化がまったく見られないという。

 

おまけに粗い繊維質のティルマに描かれた聖母像の顔料が未だに特定できないそうである。

 

 

 

例えば、太陽光線、飾りふさ、天使ケルビム、マントの三日月や星、金の縁取りなど、後からの書き込みがあることが確証されている

 

が、それらの顔料は特定されており、年代によるひび割れや劣化を示している。

 

しかし、後からの書き込みでない最初の聖母像の衣装、マント、顔、手などの顔料は化学分析によっても何であるかが特定できず、

 

しかもいかなる汚れ、すすけもなく、年代による劣化もないという。

 

 

 

もっと不思議なことは、聖母像のには人物像の反映があることが分かったという。

 

 

コンピューターを用いた画像処理で判明したように、瞳に映っていたのははっきりと認められる複数の人物の顔と手である。

 

ティルマが最初にスマッラガ司教の前でほどかれたときに、列席していたスペインの高官たちが聖母像の瞳に映ったと信じられている。